交通事故示談の件が終了。ご心配おかけした皆様ありがとうございました。園山恭平

おもえば2009年6月11日、ボク園山恭平は交通事故にあいました。

もう4年近く前のことになるんですね。
あまりにも時間が早くてびっくりです。

園山恭平 入院中


あの時の事故で、ボクの人生は大きく動きました。

当時、

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ボクはライブハウス上野BRASHの暫定スタッフとして、お店の運営とかやっていた。

そう、お店に出勤しようとしていた途中、そう昼ごろだったと思う。
目白あたりで急に横付けしてきたタクシーにふっとばされました。

タクシー vs 園山恭平

バイクで走っていたボクは、あっ!という間にふっとばされ、
バイクは向こう50mくらいスライディングしていったのを、
記憶の断片で覚えています。


そして、タクシーの運転手さんが駆け寄って来て

運転手「大丈夫ですか?」
園山恭平「救急車をお願いします」

と、冷静な対応。

でも、左手はあるべきところになかった。

あれ~、手、ないなぁ~

とか思ってた。

力入れてみる。そしたら、なんかヘンなところで指がピクピク動いてる。
いつもの場所と違うところで。

気持ちワルっ!


正直な気持ちだった。


救急車で考えた人生

救急車で運ばれる途中、
ボクは左腕を失った身体障害者としてのそれからの人生を思い浮かべていた。

重傷のボクのテンションは、とにかく高かった。

緊急処置室で、看護婦さんに、
「どうしても写真とっておいてください!」
とお願いしたが、断られた。

そういう状況ではなかったのだろうが、
とことんボクは不謹慎だ。

そう、ネタをつくって生きてきた。


園山恭平 骨折

こんな腕になっても、ボクは変わらなかった。


入院生活と通院生活

結局応急処置だけしてもらい、僕はなんだかんだでそのまま病室へ。

痛くて辛い。

夕方頃、状況がちょっと落ち着いてから家族に自ら電話。(17時頃だっただろうか)

驚いた家族は、直ぐに目白病院にやってきた。
どう考えても驚かせると思ったので、自分の状況が落ち着いてから連絡して正解だった。

園山恭平 痛打した肩


なんとか、落ち着き、入院生活は始まった。
折れた腕よりも、痛打した肩の方が痛くて、毎日眠れなかった。

痛み止めなしだと、耐えられない。
そんな感じだった。


たくさんの人の好意を受けて、
ありがたく入院生活を終え、
ボクは、なんとか日常へかえった。

そして、長い通院生活がはじまった。


勤め仕事と通院の両立

なんだかんだで、すったもんだで、
ライブハウス上野BRASHの暫定スタッフも、中途卒業させてもらい、
しばらくの間、自分の限界と向き合ったりした。

そして、
勤め仕事も、通院にあわせてできるような業務を選んだ。


不思議な縁を感じる。


時は、流れた。


正直、途中からもぅこれ終わんないんじゃないか?
って自分でも思った。


でも、終わった。

長い長い処理が終わり示談に

2013年2月28日、全ての交渉が終了し、示談しました。
ボクの要望は、ほぼいただきました。


やっと、また何かをはじめられる。そんな気分です。


この交通事故に、ずっと縛られてきました。
終わりが見えなかったし、気持ちがわるいままの時間。

でも、
その時間の中で、それまでになかった新しい発見、
新しい出会い、新しい方向性に出会うこともできた。


生きてる中に、不必要なものなんてない。

ただ、自分が考え、自分で気づき、自分で決める。
そして、行動する。

この当たり前のことを、今までしてこなかったことに気づいた。


ボクは、今、ようやく再び自由になれた。

これはかつてと同じ自由でなく、自分で決めて行動する、責任ある自由だ。


ボルトとの別れ

あの時入れた、ボルトもすでに抜いた。
園山恭平 ボルト入りの骨


この日常の中で、ごく当たり前に抜いた。

抜釘手術で入院し、翌日に退院。その翌々日からボクは、通常に勤めていた。


身体障害者の人生を覚悟したが、それは杞憂に終わり、ほぼ戻った。

ただ、左肩は今でも痛い。

だけど、その痛みは、この件を引きずる時間の重みと比べると、
全く比にならないくらいのものだった。

とにかくボクは、自由がほしかった。



縛られ、枷をはめられたような暮らしの中で、
この交通事故の怪我は、いつの間にかボクの日常になっていた。


そして、ようやくそこから解き放たれた。


あの交通事故の怪我という枷は、
もしかしたら自分の一部に消化できたのかもしれない。

日常の中にある、うまく説明できない気持ちの枷。

とにもかくにも、その時間は終わった。


と言うわけで、これからまた頑張ります。


入院・通院・怪我の際にお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。


引き続き宜しくお願い致します。

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2 Responses to “交通事故示談の件が終了。ご心配おかけした皆様ありがとうございました。園山恭平”

  1. サンデー より:

    たいへんな4年間でしたね。
    でもそれも人生の一部として受け入れることができたみたいですね。
    皮肉な話ですが、交通事故がなかったら気づけなかったこと、いろいろあったのではないでしょうか。

    ボクは中学一年生の時に左眼を怪我して手術しました。
    その時は子供だったので分からなかったのですが、入院していたときに世話してくれた家族への感謝の気持ちが、大人になるにつれ大きくなってきました。

    あれからもう33年。
    左目は今でも弱視ですが、もう人生の一部になっています。
    今期待しているのは、IPS細胞で再生した角膜を移植することです。
    それができれば視力は回復します。

    はやく肩の痛みが取れるといいですね。

    • kyoheiviolence より:

      サンデーさん、コメントありがとうございます!

      ボクは交通事故によって、閉塞された時間を過ごしたような気持ちになりましたが、
      同時に、自分を見つめなおすいい機会になったのかもしれません。
      新しい発見が多々有りました。

      サンデーさん、左目が十代のころから大変なんですね。
      おそらく、長い時間の中で、色々なことがおありだったと思います。
      とても、気持ちがわかりますし、
      苦労されたと思います。

      IPS細胞で回復されると素敵ですね。

      サンデーさんの人生に、更なる新しい発見と可能性が舞い降りるように、祈っております。

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